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山 名
銭壺山(540m) 山口県柳井市
登山日 2004年10月17日(日) 晴れ 登山道より見上げる
中山の集落から見上げる
参加者 あおい君(甥っ子)
コース 登り:十楽寺駐車場所(9時40分)〜最終民家(10:05)〜竹薮の先の分岐(10:15)〜(10:40)天狗様(10:45)〜(10:55)銭壺山山頂
下り:車で駐車場所まで送ってもらう
お弁当 銭壺山山頂(360度のパノラマです。)
駐車場 十楽寺の下の路肩(他にも国道わきなどに停められるところがたくさんあります。)
トイレ 麓の中山地区にはありません。銭壺山山頂(簡易水洗です。)
まとめ 昨日は一族総出で脱穀と籾摺りをおこない実家の秋の恒例行事がようやく終わった。最近は歩くのが苦になったという母が「天気がいいので皆で外でお昼を食べたい。」と言い出したので、車で山頂まで上がれる銭壺山に行くことにしました。山頂部で落ち合うことにして自分たちは少し早めに家を出て麓から苦労して登り、後から出て先に着いていた母たちと合流し、見晴らしのよい山頂でお昼ごはんにしました。

 実家(山口県光市)の前の周東大規模農道を由宇町方面に走り、国道437号線に入り大畠町に向けて南下する。中山地区に差し掛かると左手に老人ホーム「あそか苑」が見えてくる。その先に倉庫前バス停があるので、バス停の50m先の左手の細い道に入る。


国道からの進入口 国道から入ると遠くに見える十楽寺の赤い三角屋根が目標になります。まずは正面に見える中山天神の鳥居のところを左折して、次の分岐を右折すれば十楽寺への道へと入っていきます。

十楽寺の手前で大きく左にカーブする道をとり、とても離合ができそうもないような細い舗装路を道なりに奥へ奥へと上っていきます。ところで登山道には指導標の類いは一切ありませんので下調べは入念に行ってください。
十楽寺と駐車場所
国道からの進入口 十楽寺と駐車場所

中山の集落 道ばたに咲くアキノキリンソウ、イヌタデ、ノコンギクマルバルコウソウミゾソバヤクシソウヤマキツネノボタン、イナカギク、ヤマハッカなどを見ながら、点在する民家の間をのんびりと上っていく。

橋を渡り、数件の集落(左の写真)を過ぎ、右におおきくカーブして一直線の道を登っていき左手に1軒の民家をみる頃から舗装が切れる。右手にお堂をみて200m上っていくと左手に最終民家がある。ここまで十楽寺から25分。
お堂
のどかな中山の集落 お堂(安全登山を祈願する)

竹ヤブの中の道 最終民家を過ぎると竹ヤブの中を歩くようになる。広くて歩きやすい道だ。竹ヤブを抜けると道が二分するが、ここは右手に延びる水平な道をとる。なお左に登っていく道は竹で組んで通せんぼしてあるます。

すぐに沢を左岸に渡り、少し先で右岸に渡り返し竹ヤブを通り抜けると尾根に出る。急登が始まり、やがて左手に銭壺山の山頂部を見ながら、落ち葉が堆積して滑りやすい尾根道を喘ぎながら登っていく。
竹ヤブの先の分岐
竹ヤブの中の道 竹ヤブの先の分岐

天狗さまの拝殿 やがて前方に天狗さま(五穀豊穣の祭り神)の拝殿が見えてくる。天狗さまの祠の左手から手すり付きの遊歩道を登っていくと尾根にでる。ところが遊歩道は先の台風18号(だと思う)で崩落しており、かなりの数のヒノキの大木が倒れていて遊歩道を塞いでいる。これでは一般の観光客(車で展望広場まで登って天狗さままで降りてくる)はおそらく降りていくのを尻込みしてしまうだろう。早く復旧して欲しいものです。

尾根を左とり、コウヤボウキやママコナの咲く幅の広い遊歩道を歩くこと10分弱で山頂の展望広場に着く。先に車で来ていた母と二人の妹が広場のトイレのところから甥っ子の名前を呼んでいる。山頂で11時に待ち合わせていたのでぴったし着いたことになる。うまくいくものだ。
天狗さまの拝殿

琴石山 氷室岳 高照寺山 大将軍
南方面には柳井市の山 北西にかすむ氷室岳 北西にかすむ高照寺山 北には大将軍とふれあいパーク

山頂からは無線電波塔の方向を除き、360度のパノラマが広がる。だが昨日まで澄んでいた空気も今日は少し霞んでいて視界が悪いのが残念だ。宮島などの広島県の島はかすんで見えない。

さっそくシートをひき、その上にスーパーで調達した弁当やおかずを並べて宴会が始まる。自分の家系は皆さん飲めるのでビールがあっという間になくなってしまう。ただし自分は運転があるので控え目にせざるを得ないのが辛いところだ。

帰りは妹の車で、登山口のある柳井市中山地区まで送ってもらいました。ズルをしてはいけないんだが昨日の農作業の疲れもあるので・・・。
銭壺山三角点
銭壺山三角点にて記念撮影

【銭壺山について】
名が示すとおり、とてもユニークな名前の山ですが、その由来については、銭壺が出てきたとか、海賊の埋めた銭壺があったなどと明確ではありません。山頂より北西にすこし下りたあたりに江戸時代末期まで修行僧が住んでいたといわれ、井戸や礎石の跡、数基の墓石などが残っています。山の名を別名「目舞いが岡」とも言い、よく晴れた日には四国の石鎚山を望むことができます。(山頂に設置してある案内板より抜粋しました。)