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山 名
高松山(339m)
工程図を見る
広島市安佐北区
登山日 2015年12月20日(日) 晴れ
可部町内より望む高松山
参加者 夫婦
コース 旧可部高校グランド登山口(8時45分)〜砂防堰堤工事現場で探索5分ロス〜谷道・尾根道分岐(9:00)〜展望地(9:20)〜与助丸(9:35)〜高松神社(9:45)〜(9:55)高松山(10:10)〜高松神社(10:15)〜土石流の谷を渡る(10:30)〜谷道・尾根道分岐(10:45)〜(11:00)旧可部高校グランド登山口
お弁当 午前中登山のためありません
駐車場 登山口付近の路肩の膨らんだところ(5台くらい停められます)
トイレ 登山口付近にはありません
まとめ 今日は年末恒例の全国高校駅伝が開催される日だ。連覇がかかる世羅高校男子の走りは見逃したくなかったので午前中で登れる近場の高松山をチョイスした。下山後の帰りの車の中でラジオの実況中継を聞いていると、何と何と…意外や意外…世羅高校女子が最終区の向井選手の頑張りで逆転優勝したではないか!これなら山は止めて午前中からTV観戦すりゃあ良かったかな。

広島市内の自宅を8時過ぎに出て登山口のある可部に向かう。根の谷川に架かる高松橋を渡って高松山の登山口に着くと付近の状況は、前回訪れた12年前とは一変していた。可部高校が寺山地区の高台に移転したということではなく、昨年8月20日に発生した未曽有の土砂災害で登山口付近も被災していたからだ。そして根の谷川は河川改修中で何台もの重機やトラックが入っていた。


登山口の左手の谷に大規模な土砂災害が発生していて登山口周辺は山からの土石流で今でも悲惨な状況を呈している。以前は可部高校の弓道練習場?だった登山口前の広場は、砂防堰堤工事用の敷地として使われているようだ。広場の奥にある「高松山登山道入口⇒」の大きな案内板と、傍らの「高松城跡登山口」の石柱はかろうじて被災を免れていた。

登山口付近には上部の共同墓所から流されたいくつもの所有者不明の墓石が積み上げられていた。早く元のところに納まればいいんだけどね。左の写真では切れてしまっているが、大きな案内板の右手が登山口で、コンクリート打ちされたスロープを上っていく。積み上げられた土嚢の間に突き刺してある案内標識が被災地であることを物語っていた。
登山口付近の様子

墓所を抜けると高松神社?の鳥居がある。土石流は鳥居の手前まで迫ってきていた。鳥居の手前で迂回してテープを辿っていくと堰堤工事用作業道に出た。道路の反対側にテープが付いているが工事用の資材が置かれているので左の方に進んでいき作業員の休憩所の左手から山道(高松神社の参道)に入る。

今日は日曜日だから工事は休みのようで人影は見えないが、工事のある日だと歩くのが憚れそうなところだ。
鳥居の手前で右に迂回する 堰堤工事作業道から山道へ

山道に入ると左手に二連の砂防堰堤が…下の堰堤は工事中で間もなく完成しそうで、上の堰堤は既に完成している。そして右手には田畑跡のような石積みが見られる。マンリョウの実が目立つが植えられたものか?

与助丸分岐には目印がたくさんあり、右手に踏み跡が延びているので見落とすことはないと思う。この分岐で右のトラバース道に入り尾根を乗り越した先で左に折り返すようにして尾根に乗る。尾根道は良く踏まれているが、落ち葉が多いので滑ってかなわん。
目印の多い与助丸分岐 露岩の目立つ尾根道

露岩の目立つところを過ぎると灌木帯となりひとつ左の尾根の高いところに裸地が確認できる。毎年恒例の大文字祭りのときに「大」の字を献灯する場所だ。290年間の長きにわたり続いていた伝統の祭りも今年は8.20土砂災害の復旧の目途がたたないため中止になったとのこと、残念です。

標高210m台の等高線が広くなっているところに展望地があり、押手山〜白木山〜広島市街地〜阿武山〜螺山〜水越山が見える。西の方角の遠くには湯来の東郷山を認める。12月に入り花が見られなくなった淋しい尾根道にソヨゴの赤い果実だけがたくさん見られる。美味しくない実だから鳥も敬遠して何時までも残っている。
「大」の字の献灯場所

郭跡のようなところを幾つか過ごすとコナラの木が立ち並ぶ与助丸に着いた。かなり広いが展望はない。そこから少し登ると馬場の案内があったので立ち寄ってみることに…そちらの方に進んでいくとやけに明るいので、馬場は切り開かれた展望地になっているのかなと思ったが、実は土石流の発生源で樹木が根こそぎ流失しているので明るかっただけなんだ。

分岐に戻り心持ち下りながらトラバースしていくと高松神社に着いた。ここで右にUターンして本丸のある山頂を目指し最終アプローチに入る。
広い台地の与助丸 高松神社で折り返す

高松山に登ったのは12年振りで、前回登ったときの山頂の記憶は全くない。当時の記録写真を見ると案内板の後ろには雑木が茂っているが、今では雑木が切られて北側がすっきりした。白木山方面は自身で遮られているが、他の方向はところどころ立木が邪魔をするものの、呉娑々宇山系〜二ヶ城山〜松笠山〜広島市街地〜でっかく見える阿武山〜荒谷山が、そして可部の町を取り囲むような形で螺山〜本串山〜牛頭山〜福王寺山〜堂床山〜可部冠山〜備前坊山とぐる〜り見渡される。本串山の左後方遠くにスキー場が見えるが、滑降コースの白い部分の形からして恐羅漢山だと思う。

高松山の頭頂部は東西に長い。東の方向に歩いてみたが、づっと平地が続くので途中で引き返した。山頂には展望図が設置されているので、山の名前や可部の地理に詳しくない人にはとても参考になると思う。
見晴らしの良い高松山山頂

高松山山頂から南西〜北側の眺め(あさきた里山マスターズに名を連ねるいくつもの山をみることができる。寺山地区の高台には移転した可部高校)

下山はメインのルートを使う。高松神社まで引き返してさらに尾根道を下っていく。尾根道を少しそれたところから左手後方に折り返して、急斜面に付けられたジグザグ道を下っていく。植生は常緑樹林だが落ち葉が堆積しているので気を使う。

登山道が谷に近づいていくと土石流の痕跡が目に飛び込んできた。昨年の8.20土砂災害のときのものだ。登山道は寸断されていて見る影もないので新しく付けられたテープを追って谷を渡る。土石流は相当上の方から始まっているように見える。
尾根道から東斜面へ 土石流の発生した谷を渡る

土石流の発生した谷を下る。谷から少し離れているところの登山道は健在だが谷に近いところに付いていた道は流されて跡形もなくなっている。そんなところはU字状に深く抉れた土石流跡に沿った踏み跡を土石流跡から出来るだけ離れて下っていく。谷道・尾根道分岐のところからは登ってきた道を逆に辿り登山口に戻る。登りも下りも樹木ウォッチングをしながらなので標準タイムより多くの時間がかかっていると思う。

【回顧】 昨年の8.20土砂災害を振り返ってみると、前日夜に嵐のような天候の中で秋祭りの打ち合わせをした。帰り道、近所の川は誤って落ちたら身の危険を感じるほどに水かさが増していた。そして夜通し雷が鳴っていたのを思い出す。
土石流の谷を下る

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